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東京高等裁判所 昭和54年(ネ)1300号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【判旨】

一(一)の土地がもと上条らの所有であつたこと及び被控訴人が現に右土地を占有していることは当事者間に争いがない。そして、<証拠>によれば、

1 昭和三〇年当時、上条ら所有の(一)の土地は、その南西側は道路に接していたが、北西側と北東側とは被控訴人所有の分筆前一〇二九番一の土地に、南東側を同じく被控訴人所有の同所一〇二七番の土地にそれぞれ接し、三方を被控訴人所有地に取り囲まれた状況にあつたこと、また、右当時、分筆前一〇二九番一の土地は、その南東側に隣接して存する被控訴人所有の分筆前一〇二五番四の土地とともに、その北東側において、上条ら所有の塩尻市大字広丘吉田字道東一〇三九番の土地(左記分筆前のもの。以下「分筆前一〇三九番の土地」という。)に接していたこと、分筆前一〇三九番の土地は、昭和四六年一二月一四日(四)ないし(六)の土地に分筆され、それ以後分筆前一〇二九番一の土地及び分筆前一〇二五番四の土地の北東側は(六)の土地に隣接することになつたこと、(二)の土地は昭和五二年一二月一七日分筆前一〇二九番二の土地から、(三)の土地は右同日分筆前一〇二五番四の土地から、それぞれその北東側部分、すなわち、(六)の土地に隣接する部分を分筆したものであること、また、昭和三〇年当時、分筆前一〇三九番の土地の南東側にはこれに接して上条ら所有の塩尻市大字広丘吉田字道東一〇四一番の土地(以下「分筆前一〇四一番の土地」という。)が存したが、同土地は、昭和四九年三月一日(七)ないし(九)の土地に分筆されたこと、

2 (一)の土地が右のような位置にあつたため、主として上条ら側において耕作に不便を感じ、昭和三〇年ころ、上条政一(上条きみ子の夫輝美の父)が上条らの代理人として被控訴人に対し(一)の土地と被控訴人所有地との交換を申し入れ、話合いの結果、上条ら所有の(一)の土地の所有権と被控訴人所有の分筆前一〇二九番一の土地のうちの(二)の土地及び分筆前一〇二五番四の土地のうちの(三)の土地にそれぞれ該当する部分の所有権とを交換する旨の合意(本件土地交換契約)が成立したこと、そして、そのころ、被控訴人は、(二)及び(三)の土地に該当する部分を上条政一立会いのうえ実測、確定してこれを同人に引渡し、同人から(一)の土地の引渡しを受けたこと、

3 被控訴人は、(一)の土地の引渡しを受けた直後から、桑畑であつた同土地に梨の木を植え、これを取り囲む前記被控訴人所有地とともに一団の梨畑として肥培管理し、今日に及んでいること、他方、上条らは、(二)及び(三)の土地にりんごの木を植え、右両地に隣接する分筆前一〇三九番の土地及びその南東側に存する分筆前一〇四一番の土地とともに一団のりんご畑として肥培管理してきたこと、

以上の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

そして、右認定事実によれば、被控訴人が昭和三〇年ころから二〇年間(一)の土地を占有してきたことは明らかであり、また、被控訴人は、所有の意思をもつて平穏かつ公然に右土地を占有していたものと法律上推定される。

二控訴人は、被控訴人の(一)の土地の占有は所有の意思に基づくものではないと主張する(抗弁1)ので、判断する。

1 控訴人は、右主張の根拠として、本件土地交換契約は土地の交換使用を約したにすぎず、土地所有権の交換を約したものではないと主張するが、本件土地交換契約が土地所有権の交換を約したものであることは、前記認定のとおりである。

もつとも、<証拠>によれば、被控訴人も上条らも本件土地交換契約による農地所有権の交換につき農地法三条に基づく所有権移転の許可申請手続及び所有権移転登記手続をとらず、また、右契約により被控訴人から上条らに対し所有権が移転されることになつた(二)及び(三)の土地の分筆登記手続も昭和五二年一二月一七日まで行われなかつたことが認められまた、<証拠>には、昭和四三年五月一七日付で上条輝美が塩尻市長に対し分筆前一〇三九番の土地及び分筆前一〇四一番の土地とともに(一)の土地を売り渡す旨の、<証拠>には、同月六日付で、控訴人は、塩尻市長に対し控訴人所有の塩尻市大字広丘吉田字上原二九〇二番五一の土地(以下「二九〇二番五一の土地」という。)を売り渡し、その代替地として同市長から前記分筆前一〇三九番の土地、分筆前一〇四一番の土地及び(一)の土地の三筆を買い受ける旨の各記載があり、<証拠>によれば、右三筆の土地については、昭和四三年七月一〇日付をもつて昭和二六年五月二三日相続を原因として上条らのため所有権移転登記が経由されたうえ、昭和四三年一一月二一日付をもつて控訴人のため本件登記が経由されていること((一)の土地につき控訴人のため本件登記が経由されていることは、当事者間に争いがない。)が認められ、これらの事実によれば、本件土地交換契約は土地所有権の交換を約したものではないのではないかとの疑念も生じえないでもない。しかしながら、<証拠>によれば、被控訴人及び上条らが本件土地交換契約による農地所有権の交換につき農地法三条に基づく許可申請手続をとらなかつたのは同人らが同法に暗かつたためであり、また、同人らが右交換に伴う所有権移転ないし分筆の登記手続をしなかつたのは、さしあたり登記の必要を感ぜず、かつ、登記をするには費用がかかることを慮つたためであること、他方、塩尻市は、同市大字広丘吉田の一画に住宅団地を造成する計画を立て、同市土地開発公社が用地の買収に当たり、その用地の一部として控訴人所有の二九〇二番五一の土地三六五坪を買い受けることになつたが、控訴人からの要請により控訴人に対し代替地を提供することとなり、その用途にあてるため上条らから同人らがりんご畑として肥培管理している前記分筆前一〇三九番の土地、分筆前一〇四一番の土地並びに(二)及び(三)の土地を買い受けることとし、昭和四三年五月一七日上条らの代理人上条輝美との間に売買契約書を取り交わしたこと、ところが、右売買に際し、上条輝美は、本件土地交換契約に伴う所有権移転登記手続が未了であることに気付かず、右りんご畑は登記簿上上条らの先代上条朔郎の所有名義となつていた分筆前一〇三九番の土地、分筆前一〇四一番の土地及び(一)の土地の三筆であると考え、塩尻市土地開発公社の担当職員にその旨の説明をし、同担当職員も公図により確認しなかつたため右三筆の土地の地番がりんご畑の地番であると誤解し、そのため右売買契約書に売買対象物件として右三筆の土地の地番が表示されることになつたこと、しかし、(一)の土地は、当時、右りんご畑からみて飛地であり、かつ、被控訴人の肥培管理する梨畑の一部となつていたものであり、上条輝美も塩尻市土地開発公社も同土地を売買する意思は全くなかつたこと、そして、塩尻市土地開発公社の担当職員は、右のような誤解から、控訴人に対し、同土地開発公社が上条らから取得して控訴人に代替地として提供することになつた右りんご畑の地番として分筆前一〇三九番の土地、分筆前一〇四一番の土地及び(一)の土地の地番を説明し、控訴人も公図によつて確認しなかつたため右三筆の土地の地番がりんご畑の地番であると誤信し、そのため、控訴人と同土地開発公社との間に昭和四三年五月六日付で取り交わされた前記住宅団地用地及びその代替地の売買契約書においても、同土地開発公社が控訴人に対し提供する代替地の地番として右三筆の土地の地番を表示したものであること、また、(一)の土地についてその後本件登記がされたのも、右のように上条ら、塩尻市土地開発公社及び控訴人のいずれもが(一)の土地は右りんご畑の一部であると誤解していたからであること、以上の事実を認めることができ、原審及び当審における控訴人本人尋問の結果中右認定に反する部分は信用できない。そして、右認定の事実と対比すれば、前段認定の事実は、前記本件土地交換契約に土地所有権の交換を約したものであるとの認定を動かすに足りない。

2 また、控訴人は、被控訴人の(一)の土地の占有が所有の意思に基づくものでないことの根拠として、被控訴人が右土地につき公租公課を納めたことがないことを挙げる。しかし、前記認定の被控訴人の右土地占有に至る事情及びその後の占有状況にかんがみれば、右公租公課不納付の一事をもつて被控訴人の右土地の占有が所有の意思に基づかないものであると断ずることはできない。

3 そして、その他本件にあらわれた諸般の事情を総合しても、いまだ被控訴人の(一)の土地の占有が所有の意思に基づかないものであると認めることはできないから、控訴人の抗弁1は理由がない。

三控訴人は、次に、被控訴人の(一)の土地の占有は強暴、不法の占有であると主張するが(抗弁2)、控訴人主張の塩尻市農業委員会によるあつ旋の経緯は後記認定のとおりであつて、被控訴人の右土地の占有が強暴、不法のものであると認めるには足らず、他に右控訴人の右主張事実を認めるに足りる証拠はない。よつて、控訴人の抗弁2も理由がない。

四控訴人は、また、控訴人は(一)の土地について昭和四三年一一月二一日本件登記を経由したから、これによつて被控訴人の右土地に対する取得時効は中断されたと主張する(抗弁3)ので、判断する。

控訴人が(一)の土地について本件登記を経由したことは、当事者間に争いがない。しかしながら、不動産につき取得時効進行中第三者がこれに所有権移転登記を経由しても、占有状態に変動のない限り取得時効が中断されることないから、本件登記によつて被控訴人の右土地に対する取得時効が中断されることはないというべきである。したがつて、控訴人の抗弁3も理由がない。

五控訴人は、更に、被控訴人の(一)の土地に対する取得時効は塩尻市農業委員会の判断が示された昭和四七年二月一〇日に中断されたと主張する(抗弁4)ので、判断する。

<証拠>によれば、控訴人は、前記認定のように、塩尻市土地開発公社に売り渡した土地の代替地として同土地開発公社から上条らの肥培管理していたりんご畑を買い受けた当時、その売買契約書に記載されていた分筆前一〇三九番の土地、分筆前一〇四一番の土地及び(一)の土地の三筆の地番が右りんご畑の地番であると思つていたが、昭和四五年ころ、公図を見て(一)の土地が被控訴人の肥培管理している梨畑の中にあることに気付き、塩尻市に対し右土地の引渡しを強く要求したこと、そこで、塩尻市は、昭和四六年ころ塩尻市農業委員会にあつ旋を求めたこと、そこで、塩尻市農業委員会は、同市広丘地区の農業委員九名をもつて構成する広丘地区会議を開き、控訴人、被控訴人、上条輝美、塩尻市土地開発公社の担当職員らから事情を聴取し、かつ、現地を実測した結果、上条らと被控訴人との間で(一)の土地と(二)及び(三)の土地との交換が行われ、右りんご畑の中に(二)及び(三)の土地との交換が行われ、右りんご畑の中に(二)及び(三)の土地が含まれていることを確認し、そのうえで、昭和四七年二月ころ、控訴人及び被控訴人の双方に対し、一応公図どおり、すなわち、(一)の土地は控訴人の、(二)及び(三)の土地は被控訴人の各所有とするが、両者は改めて話合いにより現況どおりに右両土地を交換するようにとの判断を示したこと、しかし、控訴人は、右りんご畑中に(二)及び(三)の土地が含まれていることを承認しようとせず、塩尻市農業委員会の右判断に従い被控訴人との間で現況どおりに(一)の土地と(二)及び(三)の土地とを交換することを拒否し、その後も塩尻市に対し(一)の土地の引渡しを要求し続けたこと、以上の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。そして、被控訴人が塩尻市農業委員会の右判断に対し反論し、又はこれを拒否したことを認めるに足りる証拠はない。右認定の事実によれば、塩尻市農業委員会の公図どおりとの右判断は、上条らと被控訴人との間で(一)の土地と(二)及び(三)の土地との交換が行われ、控訴人が買い受けたりんご畑中には(二)及び(三)の土地が含まれているので、右各土地の所有、占有関係は現況どおり、すなわち、(一)の土地は被控訴人の、(二)及び(三)の土地は控訴人の各所有、占有とすべきであるとの考えのもとに、ただ、登記簿上は(一)の土地は控訴人の、(二)及び(三)の土地は被控訴人の各所有名義となつていたところから、右登記と現況との不一致を解消する方法として、取りあえず控訴人と被控訴人とが登記どおりに所有関係を認め合い、そのうえで両者間で右両土地を交換したことにして登記と現況とを一致させるようにとの趣旨でされたものと解され、(一)の土地を確定的に控訴人の所有と認めたものということはできない。それゆえ、被控訴人が塩尻市農業委員会の右判断に対し反論したり、これを拒否したことがないからといつて、被控訴人において(一)の土地が控訴人の所有であることを承認したものということはできない。したがつて、右承認のあることを前提とする控訴人の抗弁4もまた、理由がない。

六以上検討してきたところによれば、被控訴人は、昭和三〇年ころから二〇年間所有の意思をもつて平穏かつ公然に占有してきたことにより、(一)の土地を時効取得したものということができる。

(林信一 宮崎富哉 石井健吾)

物件目録<省略>

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